8月15日 お盆ですよね
お盆(おぼん)とは、夏に行われる日本の祖先の霊を祀る一連の行事、日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事と言われています
父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事ですね
亡き人(わんこ)を偲び 犬の魂に付いて少しお話をしたいと思います
この話しは 以前に「私の愛犬に対する理論の元」でも触れた話しです。
犬と人との関わりは 13000年前とも言われ 日本でも7000前の縄文時代からとも言われています
なぜ 多種ある動物の中で 人と犬との関係はこれ程古いのか 歴史が有るのか不思議と思いませんか
魂に付いて語ると 必然と仏教的なお話に成りますが お釈迦様の生誕は 前550年頃で 仏教がインドで復旧し 大乗仏教が出現 仏教が世界に伝わったのが ガンターラや孫悟空の話しの 西暦100年頃です
仏教の教えには 生き物には全てに 魂が有るといわれます
魂は 輪廻し 六道界天道(てんどう、天上道、天界道とも)人間道(にんげんどう)修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)餓鬼道(がきどう)地獄道(じごくどう)を巡り 人として生まれる
人間は 天道 天人 人との間と書いて 人間と言われます
犬は畜生道 この世界では 本能のまま生き 使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界と言われます
不思議ですよね この仏教の教えが広まる以前から 犬は人の近くに居ました
仏教の教えは 文明の進化と共に 人間は自然な生き方から 自然の摂理(小さな者は大きな者に 弱い者は強いものに)に背くように成った事から 人の生き方を説いたとも言われています
従って 仏教以前から 魂の生まれ変わりは有った訳で その輪廻 畜生道の 犬魂だけは 人と共生し 人を介し得を得てて 来世は人に生まれたいと願う魂だったと私は思うのです
魂の位・・と言うか 表現は難しいな・・どう違うのか考えると
輪廻からみると 一番下が地獄道 次が餓鬼 畜生 修羅 そして人間ですね
同じ魂でも 生 生まれる確立で言うと 小さな魚は一度に数千もの子が誕生しますよね 哺乳類は生涯生まれる数は少なくなります 人間に成ると更に少なくなります
高等下等と言う表現は好きでは無いので 生まれる確立で考えると 沢山生まれる小さな弱い生き物は 罪を犯す事が極端に無い 沢山生まれても大きな物に食べられてしまう
逆に 確率の低いものは 小さい生き物や弱い者を食べて生きて行きますから 罪を犯す数が多くなります
確立の高い生き物に生まれ 他の生き物の餌となり 他の生き物の血や肉となり 一つ上の魂に生まれ変わる 幾度と生まれ変わり 最後に人間に生まれ変わり 沢山の罪を犯し 輪廻で下へが 魂の生まれ変わり
そう考えると 犬の魂は 不思議ですよね ずっと昔から人の近くに居ます そして 他の動物に比べ生きる年数が寿命が短いです。
そうです 犬の魂は 来世人に生まれたいと願う魂だからです 私はそう思います
ここで一つ 人に近い生き物として では猫は 猫は昔から人に付かず 家に着くと言われていますよね
来世人に生まれて 又罪を犯し下に落とされる位なら このままで良い 人に生まれ変わりたく無いと諦めた魂かな(笑)
犬は人と居る事で 小動物の殺生もしません 人の役にたつ事しかしませんよね そうやって沢山の得を積み来世は人に生まれたいと願う魂と思います
中には 少し得が足らないからと 短命でもう一度犬に生まれ 人に命の尊さを伝え 得を積み 次回こそ人にと言う子もいると思います
だから 人を噛ませてはいけない 絶対に人を噛ませてはいけない
折角人の近くに生まれ得をもらう場に来たのに 人を噛んでしまい得を失い 来世は犬以下に成るのは可哀相と思うのです
わんこ達は ずっと昔から 人のそばにいて 沢山の得をもらつています
祖先その先の祖先も更にその祖先も 彼らの遺伝子には 人の傍に居る本能 人と共生する術を持っています
逆に言えば 私達人間も ずっと昔からわんこと暮らしてきた訳です
今 わんこと暮らす人は きっと祖先もその先の祖先も 犬と暮らしていたのだと思うのです だからわんこと暮らす術を本能的に持っている筈です。
難しく考えず 自然に任せて 愛犬と関われば 自然と思いは繋がる筈です
人もわんこも 同じくわんこと暮らす人達と関わる事で 自然と仲間として 学びます
私は そう思います。
2017年08月15日
愛犬の魂
posted by seikenjyuku at 14:34| Comment(0)
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